遗属苏忠海发言稿(中日文)
我是1923年在日本被屠杀的中国遇难者后代苏上三的曾孙苏忠海。
1923年9月,在日本东京发生了一场大地震,在地震期间,我曾祖父苏上三及其哥哥苏上二住在日本大岛町八丁目同庆源客栈,傍晚时分,几十个军警和群众手持铁鎚等凶器闯进客栈,对着手无寸铁的中国人肆意砍杀,我曾祖父兄弟当场被铁鎚打死,当时我曾祖父兄弟分别为25岁和29岁。一对正值青春年华的同胞兄弟就这样被惨无人道的日本军警和群众残杀在异国他乡。
曾祖母听到亲人被屠杀噩耗后痛不欲生,欲哭无泪,万念俱灰,后来带着女儿遁入空门,削发为尼,最后不知所终。我曾祖父的胞兄苏上二出国前尚未娶妻,所以也没有留下任何子嗣。
今天,当我述说曾祖父这段悲惨的历史时,我的心也在滴血,我感到无比悲痛,我的先辈被日本军警和群众无辜的屠杀后,在这几十年的时候给子孙后代造成永远无法愈合的伤害,造成永远无法弥补的损失,同时我们对日本军警和群众的暴行感到极其的愤怒,如果我们的先辈没有遭到日人的残杀,他们的命运以及我们后代的命运都将截然不同,我们的生活也将彻底改变。
我们强烈要求日本政府正视历史,承认自己犯下的滔天罪行,给我们遇难同胞的后代作出交代。
“前事不忘,后事之师”。我们要铭记这段惨痛的历史,并向日本政府提出严正的抗议,强烈要求日本政府向遇难者家属作出赔偿,还在日本无辜遇害者一个公道。
蘇忠海挨拶文
私の名は蘇忠海です。1923年に日本で虐殺された中国人被害者 蘇上三の曾孫です。
1923年9月、東京で大地震が発生しました。地震が起きたその時、私の曾祖父 蘇上三とその兄である蘇上二は、大島町8丁目にある同慶源の宿屋で住んでいました。ある夕刻、数十人の軍隊警察と群衆が手に金槌などの凶器を持って宿屋に突入し、身に寸鉄も帯びない中国人を無残に打ち殺していきました。曾祖父兄弟は金槌で撲殺されたのです。当時曾祖父兄弟は25歳と29歳の若さであり、青春を謳歌する若い年齢でした。しかし無残にも日本の軍隊警察と群衆によって異国他郷で惨殺されたのです。
惨殺されたという知らせを身内から聞いた曾祖母は、ショックのあまり涙も出ず、生きる意欲を失い、絶望しました。のちに娘を連れて仏門に入り、剃髪して尼僧となったのですが、その後、曾祖母がどう生きていったのかは知りません。曾祖父の兄蘇上二は出国前まだ独身であったので、子孫を残してはいませんでした。
今日に至り、曾祖父のこの悲惨な歴史を述べると、私の心からも血が滴るようで、この上ない悲しみと痛みを感じます。私の先輩たちは日本の軍隊警察と群衆に故なく惨殺されたが、それから数十年の時が経って尚、そのことが私たち後代にとって永遠に癒えない傷となり、永遠に埋めることのできない損失となっているのです。私たちは日本人の暴力に対し、強い憤りを覚える。もし私たちの先輩が惨殺事件に遭っていなければ、彼らの運命および私たち後代の運命もまったく異なっていたはずであり、この事件は私たちの人生を根底から変えてしまった。
私たちは日本政府に対して、歴史を正視し、自己の犯した大きな過ちを認め、その上で被害者の子孫である私たちに釈明することを求めます。
「前の事を忘れず将来の戒めとする」。私たちはこの悲惨な歴史を心に銘記し、日本政府に対し厳正に抗議する。日本政府は被害者家族に賠償し、日本で殺害された無辜の被害者たちの公道を取り戻すことを強く求める。