林江都发言稿(中日文)
女士们,先生们,大家好!
我叫林江都,是中国浙江省温州市瓯海区泽雅镇古耸村人。
古耸村我的爷爷林永潘和桂坑村我的亲爷爷周瑞揩等五人一起赴日本东京大岛町八丁目打工。1923年9月3日,都惨死在日本无法暴徒分子毒刀之下。
今天我作为遇难者的后代遗属代表怀着无比悲痛愤怒和寂寞的心情来到日本东京前辈受难惨死的地方祭祖,向遇难者先辈表示沉痛的哀悼。
首先,我代表遇难者的遗属,向日本朋友,旅日华侨,日本友好人士为我们遇难者们无私奉献所付出的代价,对他们这种友善的精神表示感谢,谢谢他们。今天我们的目的是铭记历史,索回正义。
回忆当时,日本军国主义自卫团及社会青年团日本暴徒不法分子,把温州青田两地旅日华工数百人杀害。据坑源村死中逃生的见证人黄子莲所说,于1922年5月份赴日本东京大岛町做工,常住在同乡林合吉开设的小客栈里。大岛町八丁目惨杀华工173人,其中幸存者一人,黄子莲后来苦难生活一个多月,直至10月5号遣送回国,8号抵达上海。
为什么我们的旅日华工面临这场灭顶之灾,使他们惶惶不可终日,过这种人间地狱生活?一场血仇泪史被封尘了91年之久,现在最终被揭开真相。
老前辈的血不能白流,所以今天我们大家以仇恨悲痛化作力量,组织起来团结一致,向日本政府诉求正义和公道,要求合法、合理的赔偿,为遇难前辈死者英灵建立纪念碑,避免这样的悲剧重演,像大地一样常在,给后人万古流传,让人们永远牢记这段历史,祝福世界永远太平,人人幸福安康。
林江都挨拶文
皆様こんにちは!
私の名は林江都です。中国浙江省温州市瓯海区澤雅鎮古聳村の出身です。
私の祖父にあたる古聳村(コショウソン)の林永潘と、同じく祖父である桂杭村出身の周瑞揩、合わせて五人は、ともに日本へ行き、東京大島町八丁目で仕事をしていました。しかし、1923年9月3日、無法者の暴徒によって全員が惨殺されました。
本日、私は被害者の後裔遺族を代表して東京を訪れ、この上ない悲痛と憤怒、寂寞を抱え、先輩たちが惨死した場所を参拝し、被害者の先輩に対し心痛なる哀悼を表しました。
日本の友人、在日華僑、日本の友好的人々が、私たち被害者のために献身してくださり、私は被害者遺族を代表して、この善良なる精神に対し感謝の意を表します。有難うございました。目下、私たちの目的は歴史を銘記し、正義を取り戻すことにあります。
当時、日本の軍国主義の自警団および社会青年団の不法な暴徒たちは、温州青田出身の在日中国人労働者数百人を殺害しました。杭源村出身の生存者である黄子蓮の話によれば、彼は1922年5月に日本へ渡り、東京大島町で働いました。住居は同郷の林合吉が営む宿屋でした。大島町八丁目での中国人虐殺は百七十三人、この虐殺事件の生存者である黄子蓮は、事件のち一カ月あまり苦難の生活を送り、10月5日には帰国の途につき、8日には上海に到着しました。
なぜ私たち在日中国人労働者はこのような災害に際して、恐怖のなかで生き、このような地獄の生活を送らなければならなかったのでしょうか?この血と涙の歴史は九十一年間も封じられ、現在ようやくその真相が明らかになりました。
先輩たちの流れた血を無駄にするわけにはいきません。今日、私たちは恨みと悲しみを力として団結し、日本政府に正義と公道を求め、合法的、合理的な賠償を要求します。そして被害にあった先輩の英霊のため記念碑を打ち立てます。碑は大地の如く常に存在し、後世に代々伝承してゆきます。それは悲劇の再演を避けるためであり、人々に永遠にこの歴史を銘記させ、永遠の世界太平を願い、人々の幸福安寧を望むためです。